惹起されぬ報酬系: 私はなぜメンタルを病むのか
近代以前の宗教は,極めて主観的かつ恣意的で,決してvalidateされぬ(できぬ)テーゼを,現前する遠大無窮の問いへ盲目的に押し付け,自己を救済しようと試みる詐欺的自己救済装置である.近代以降の宗教は極めてカルト的であるため,宗教による自己救済は現代の市井においては認められていない.こうした現代においてその役割を代替しているのは,私が思うに,曖昧模糊な格言を謳うアフォリズムならびに詩歌だろう.
最近,そうした「アフォリズムによる詐欺的自己救済」を体感した.自己を騙すことで問いを打ち消し,「悩みが消えた,やったやった」と,欣喜雀躍している.その様は些か滑稽に見えるかもしれないが,首を吊るよりマシだろう.
本題に入ると,松下幸之助の「道」 という詩に,妙に感じたものがあった.内容はググったら出てくる.「天与の尊い道」なんて妄信的な戯言があるかボケ!と思ってしまうが,理性がどう訴えるのであれ,やけに心に沁みる.うーん,これが宗教の力か,と感服する.一ヶ月ほどあれだけ悩んでいたのに,心がすっと軽くなった心持ちである.
心の反応から逆(さか)向きへ逆伝播することで,理性がどういう問題を抱え,なぜメンタルを病んでいたのかが徐々に分かってきた.以下,備忘録的に,適当にまとめてみる
いろんな人にバレてしまったので削除!!!